2013/10/28

メディアの多様化とジャーナリズムのこれから、そして地域に密着したハイパーローカルメディアの可能性

毎日新聞社で現在はエルサレム支局長を務めている、大治朋子氏が執筆された『アメリカ・メディア・ウォーズ ジャーナリズムの現在地 (講談社現代新書)』は、2009年から2011年まで、毎日新聞メディア面で始めた連載「ネット時代のメディア・ウォーズ 米国最前線からの報告」をもとに書き下ろされた一冊です。

オンライン・メディアがピューリッツァー賞に選ばれている現実や、新聞社の紙から電子という流れの中で、各社がどのような経営判断を行ない、紙と電子という媒体の中で再編を行っているかなど、現在のアメリカのジャーナリズム、メディアの動きが書かれた内容になっています。新しいところだと、Amazonの創始者のジェフ・ベゾス氏個人が買収したワシントン・ポスト紙についてもその動向についても触れています。

「共通するのは、従来通りの活字ジャーナリズムを維持しながら、プラスアルファの付加価値としてウェブ上の動画やグラフィックスなどマルチメディア技術を駆使し、複雑な問題を多角的な手法でわかりやすく説明して読者の理解を助けようとしている点だ」(P19)

というような、日本だとしばしば議論される「紙からオンラインへ」というものではなく、いかに紙とオンラインとを融合させ、互いの媒体のメリットデメリットを相補させるかについて書かれている内容は、日本でも今後くるであろう動きの中で抑えておきたい動きです。

オンラインでは無料で誰もが読め、しかもコピペが容易となるような現在において、記事の共有化や取材体制の再構築といったこともアメリカでは議論されており、新しい取り組みも行なわれているそうです。同時に、質の高い記事(コンテンツ)に対して、質の高い情報は無料じゃない、という情報の有用性と重要性をどのようにユーザーに考えさせるかも、日本でもまだまだ議論されるべきものなのかもしれません。

「未来の素晴らしいジャーナリズムとは、消費者が喜んで金を払うようなニュースや情報を提供し、そうやって消費者をひきつける能力を持つことで成り立つものになるだろう」(P59)

アメリカでも、ニュース閲覧有料化の重要性を訴える動きも多い。ウォールストリート・ジャーナルやフィナンシャルタイムスといった各種媒体の課金方法に至る過程などは、それぞれの経営方針やどのように読者をひきつけておく方法の違いとして、興味深く読むことができます。

紙や電子、有料化といった内容は、日本のこれからのメディアやジャーナリズムを考える上でとても参考なるようなものが多いが、個人的にも印象深かったのは、第3章の「ハイパー・ローカル戦略は生き残りのキーワードか」と第4章の「NPO化するメディア」でした。

3章は、徹底的に地元ニュースにこだわる「ハイパー・ローカル」路線を取っている新聞社の話です。国土が広いアメリカは、それぞれの地方ごとに小規模な新聞社があり、地元で起きている出来事をつぶさに報道していますが、そうしたローカル新聞も人手不足は否めず、なかなかすべてをカバーすることは難しい。そのため、大手通信社のAP通信から記事をもらい、全国の情報といった記事配信も行っています。

しかし、経営方針の展開により、AP通信が記事配信が減ってきている状況の中、地方紙が連合を組み、互いの記事の共有を図るシステム(記事内では、オハイオの事例として、「オハイオ・ニュース・オーガナイゼーション(OHNO)」について説明している)を構築し、AP通信に頼らない体制を取り始めています。シェアできる情報はシェアすることで、自分たちが専念すべき取材に精を出すことができる。また、OHNOのつながりを活用して、3ヶ月に一回の共同調査報道も行っているそうです。資金や人員もかかる大規模な調査報道を共同で行うことで、新しい形を模索しようとしているのだと感じます。

こうした、ローカルの情報をどのように発信していくのかは、これからとても重要な視点となってくると感じます。全国規模な情報は、大手のニュースサイトやSNSなどですぐに情報が広まります。事実だけであればウェブを通じたものである程度カバーできるかもしれません。しかし、内情や大規模ではないローカルなものや小さな出来事にこそ意味があることは多々あります。

グローバル化によって標準的な一般的な情報は自由になりつつある中、自分自身の足元や暮らしをどのように考えるかといった視点は、グローバルではなくローカルの情報にこそ意味が出てきます。広告的な視点で見ても、ハイパーローカルニュースはターゲットがより明確になりやすい。ウェブサイトが近年ニッチな情報にセグメントされていくように、新聞やジャーナリズムもそうしたローカルさ、もっと言えば身体性を持った情報にこそ価値がでてくるのではないでしょうか。

第4章の「NPO化するメディア」でも、まさにそのようなことが引き続き書かれています。NPOが運営するオンラインメディア「ボイス・オブ・サンディエゴ」は、「市民社会に必要な情報を届ける」といった考えのもとに「地元市民のQOL(生活の質)に関わる問題」をフォーカスした情報を発信しています。例えば、地元議会の動向や政治家の発言のファクトチェック、地元の学校の情報、自治会の動きや地元経済といった、いってみればハイパーローカルな情報が中心です。しかし、私たちの普段の生活を考えてみると分かるように、そうした地域の細かな情報にこそ意味があります。

日本では、最近だと小平市の道路建設問題などが話題となりましたが、そうした地元を二分する問題は、大手の新聞はなかなか注目しずらい。しかし、住んでいる人にとっては死活問題であり、何がどのように決定されているかをつぶさにチェックしたい思いは強い。そうしたローカルなものを追いかけるジャーナリズムが、今後より価値がでてくると、同書を読むと感じさせます。

オンラインメディアでもあるため、こうしたローカルな情報であってもグローバルに発信され、つぶさにソーシャルを通じて地域住民に協力したい人がでてきたり、Aという地域で問題になっているものは、Bという地域でも参考になったりすることも多々あるように、こうした問題を横展開させ、より大きな視点で社会問題を論じる動きも起きやすくなるかもしれません。日本において、行政同士や地域住民同士の連携がないからからこそ、こうした詳細な情報によって助けられる何かもでてきやすくなるかもしれません。

ローカルをローカルにフォーカスすることは、実はグローバルに繋がることでもあります。かつて、Think Global, Act Local.という言葉がありましたが、これからは「Think Local, Act Local, and connect Grobal」な時代と言えるのかもしれません。

民主主義においては、ジャーナリズムは切っても切れないものです。市民社会をよりよいものに機能させるためにも、新しい視点や情報をどのように受発信していくか考えなくてはいけません。同時に、そうした細やかな情報源や情報発信者に対して、ユーザーである私たち市民も、対価をどのように支払っていくかという「情報の価値」について、どう認識するかが問われてきます。

情報は無料だという発想は、いつか平凡で当たり障りのない情報しか世の中に流布しなくなります。しかし、平凡な情報が広がることによって、本来であれば知らなければいけない大事な情報が認知されないということも起こりえます。市民社会、情報社会をどのように作っていくかは、私たち一人一人が考え、行動していかなければいけないものなのです。

日本でも、こうしたジャーナリズムの再編や動きはこれからますます起きてくると考えられます。いつまでも「紙かウェブか」とか、「新聞やテレビはなくなる」といった議論ではなく、ユーザーである読者に対してどのように情報を届けるかというユーザーファーストな視点をもとに、新しい取り組みをもとに、多様でエコシステム化されたジャーナリズムを構築することが求められてくると考えます。同時に、良質なジャーナリズムをどのように作っていくか、ジャーナリズムを残していくための資金提供といったものを伝えていかなければいけないのかもしれません。

改めて、情報の価値をどのように考えていくかが問われています。その中で、ローカルを見つめることが最近多くなった気がします。



先日発売された、TOmagazine「TO」という雑誌を読みながら、自分が住む地域にちょうど考えていました。「TO」は、友人である編集者の川田洋平くんが手掛けている雑誌です。毎号東京23区の一つを特集し、独自の視点でその地域を深堀りしていくものです。

しかも、取材から編集、校了までをその区に住みながら取り組むという徹底ぶり。自身がその地に足を踏み、身体性をもって雑誌を一から作り上げているのです。ところどころに、その地域のコアが部分や匂いを感じるのも、川田くんがその地に根付きながら行動しているからだと思います。

2号である本誌は目黒区特集。私も長い間目黒区に住んでいますが、TOを読むと意外と知らないことや新しいことに気付かされることは多々ありました。そもそも、その地域に住んでいるものの、その地域のことを一体私たちはどれほど知っているのでしょうか。いわんや、日本という国自体も。

自分の足元にある地域の特色、名産、文化、歴史などなど、教科書やWikipediaでなんとなく調べることはできても、その情報を「自分ごと」にするには、自分の目で見て、耳で聞いて、手で触るような、五感を通じた体験でしか、本質を感じることはできません。

付け焼き刃の情報ではなく、自分自身で感じた情報は、他でもないその人自身の情報であり、そこにしかない価値がでてきます。TOも、編集者川田洋平という人間の五感を通じて感じた東京であり、そしてその地に根付いた中で感じたそれぞれの区の情報とも言えます。東京という、知っているようで意外と知らない、世代や住んでいる地域や職業によって多様な顔を見せる地域を感じさせる、東京を再発見する一つの「ハイパーローカルメディア」とも言えるでしょう。

TOは、1号目の足立区、そして2号の目黒区、3号目は中野区の予定です。どのように残りの23区を表現するかがとても待ち遠しくなります。雑誌としてのプロダクトデザインのレベルが高いのも特徴です。ウェブではなく、あえて雑誌を作ることの意味も、ウェブというフローなものではなく、雑誌というストックされたもので地域の良さを凝縮して届けるといった、今の時代だからこそ価値のある作りだと思います。

デジタルが当たり前だと感じているような若い世代の人たちにこそ、紙という雑誌がもつ情報の凝縮性、そしてローカルという情報を掘り下げることの魅力を感じてもらいたいですね。


私自身も、いま地域のまちづくりやコミュニティデザインについて紹介する「マチノコト」というウェブメディアを仲間と運営しています。このメディアは、地方で取り組んでいるさまざまな動きというものは、おそらく他の地域でも参考になったり横展開できる動きが多々あるのに、行政単位や地域同士の情報が横につながっていないために、同じような動きしてる地域のノウハウや情報が共有されていないものをどうにかしたい、というのが目的の一つです。

まちづくりの手法として、コミュニティデザインがあります。そうしたコミュニティデザインの手法になりうるフレームワークや、地域のまちづくりのための武器を提供することで、よりスピーディに、より多様な地域づくりの取り組みが行えるはずだと思っています。

まちづくりには、民間や個人だけではどうしても限界があります。本来であれば、政治、行政、民間、個人といったさまざまなステークホルダーと協働していかなければいけないのです。しかし、行政が取り組んでいる動きを私たちは意外と知りません。そうした行政との協働を見出す一つの切り口として、できるだけマチノコトではそういった協働を生み出すヒントを提供できればと思っています。

地域をどう良くし、誰もが豊かな生活を送るためにも、行政ができること、民間企業ができること、そしてメディアやジャーナリズムができることといったそれぞれの役割があります。そんなことを、これから考えていきたいなと思っていた時に、ちょうどリンクするような内容の本を連続して読んでいたので、忘れないうちに書いておかないと、と思った次第です。

グローバルで情報が行き届く世界になるからこそ、自分の暮らし、自分がいる足元を見直すこと、身体性をもちいた生活に対する寄り戻しがきている時代において、ローカルをみんながそれぞれ考えていくかを、もっと話していけるといいなと思います。

131029修正
「TOmagazine」から「TO」に、本号から変更になっていたので、修正しました。初出のところだけ修正分入れて、あとのテキストは差し替えています。




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